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日本
就職氷河期?僕はあまりそう思わないが…
明治大学国際日本学部4年生の神谷彰典(22)氏は、既に8月に三菱製鋼に合格した。15社くらい面接を受けたという神谷氏は、「就職難という話はあまり聞いたことない」とし、「周りに就職が難しいと言う友達はほとんどいない」と話す。
厚生労働省が昨年初めに発表した資料によると、日本の大卒就職率は96.7%だという。韓国国内でも関連記事が次々と報道された。統計の数字に誤りはあるかもしれないが、実際に東京で会った青年たちも「就職は決して難しくない」と口を揃える。
2011年に日本に留学しに来た韓国人留学生イ・アイン(24)氏は、今年3月に拓殖大学国際学部を卒業し、帰国の代わりに日本現地就職を選んだ。イ氏は、「韓国の友達は、『100社にエントリーしても落とされるし、労働環境があまりにも厳しい』という話しかしない」とし、「日本では大手企業だけにこだわらない限り、就職が難しい訳ではない」と言った。また、「大学で一緒にバンド活動をした友達は、授業もよくサボったりして勉強熱心でもなかったのに、誰よりも先に内定をもらった」とし、「日本ではあういう人も就職できるんだなと思った」と話した。日本のエントリーシートには成績を書く所がないから可能なことである。
スペックの問題ではない
拓殖大学国際学部4年生である庄司結里(22)氏に見せてもらったエントリーシートは変わった形をしていた。ウェディング会社に出した書類は手書きで、絵を描いて写真も切り取って貼ってあった。会社で要求した内容は、「自分の個性を活かしてウェディングプランを作りなさい」ということ。庄司氏は、「仲良しの友達の特徴を活かしてドレスやメイク、結婚式のコンセプトはもちろん、新婚旅行までオーダーメイド型で提供するアイディアを表現した」という。 日本で就職の成否を左右するのは、個性と創意力である。庄司氏は、「面接中に『白紙に自分を表現しない』という質問を受けたが、抽象的な課題をどう解決すればいいのかお先真っ暗だった」と話す。東京に面接を受けに来た青森県の弘前大学4年生である坂愛子(22)氏も「『上司の命令で火星に行くなら、何を持って行くつもりなのか』という問題を見て慌てた」と当時を思い浮かべた。
就職に正解がないため、学生たちは就職の準備より、大学生活を楽しむのに時間を費やした。神谷氏と庄司氏は2人ともバスケットボール部活を長くしてきた。庄司は、7年間バスケットボール部活をしながらキャプテンまで務めた。神谷氏は「普段は社会に出るとできない、学生時代に楽しめられることであれば何でも一生懸命にしようとした」とし、「就職だけを考えて他に努力したことはない」と言った。 もう一つ日本の大学生を苦しめるのは、「新卒一括採用」システムである。企業で大学3・4年生を採用する方式だが、就職浪人の枠が極めて限られているのが特徴である。坂氏は「新卒採用の際に就職できないと、入りたいと思う会社に入りにくい」とし、「今必ず就職しなきゃというプレッシャーがあるから時間が経てば経つほど不安を感じる」と言った。
非正規社員でも大丈夫、ブラック企業でなければ…
一方で、日本の大学生が心配しているのは、就職そのものではなく、就職後その先の人生だった。日本では、労働者に厳しい働き方を強いる企業という意味の 「ブラック企業」に対する批判が激しい。2009年には『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』というタイトルの映画が公開されたりした。
庄司氏は、就職活動中にブラック企業に関する本を読むのと、ウェブ上で調べるのに最も多くの時間を費やした。あるホテルから内定をもらった後、一番最初にしたことも会社評判情報サイトを確認することだった。 池袋で会った仲陽介(26)氏がニート(NEETㆍNot in Education, Employment or Training)の道を選んだのも、長く働いて少ない給料をもらっている友達のように生きていく自信がなかったためだ。彼の所属している「ニート株式会社」は、ニートが集まってプロジェクト単位の事業を進める会社だが、仲氏は「会社に属している人の中には、少ない給料や頻度の高い残業などの厳しい環境に耐えられずに転職先を探す人が多い」と言う。
しかし、ブラック企業でなければ、非正規社員に対する抵抗はなかった。不平等な処遇や差別はなかったそうだ。イ・アイン氏は、卒業後に入社した会社が合併され契約が切れたため、新しい職場を探している。イ氏は「昨日受けた面接は契約社員だが、正社員と給料やインセンティブの差がなかった」とし、「契約期間が終われば、キャリアを積められるように100万円を支援する制度もあった」と話した。 神谷氏と庄司氏は韓国の就職状況を聞き、「韓国は、大手企業に就職しなければ、安定的な生活ができないというプレッシャーがあるみたいで、周りの目も意識しすぎのではないか」とし、 「日本では、中小企業に入ったとしても人生に問題が生じる訳でもないし、皆そう思っているから周りの目を意識する必要もない」と、ぐるになっている訳でもないのに口を揃えて同じく話した。
もしかして日本の青年たちが低賃金労働の惰性に流されて口にした言葉ではないだろうか。庄司氏が就職した会社は、年俸250万円(給料が高い方ではない)。イ・アイン氏は、インセンティブを含めて年俸280万円(従業員が9人の小さい会社)だった。東京は交通費と家賃が高いが、交通費は多くの会社が補助してくれるので、家賃をシェアハウスでセーブすれば、ソウルより決して悪い条件ではなかった。東京で働いているある韓国人は、「色々考えてみたら、中小企業に就職してもソウル暮らしより生活の質が落ちる訳ではない」と話した。
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韓国
26歳男性の定義「大手企業と中小企業でなければ就活準備」
「最初、大学を卒業した時には、サムスンさえ入れば親の誇らしい息子になれると思いました。大学院で勉強している今は、お父さんに『僕はサムスンではなくて年俸いくらくれる何とか会社で働きたいんですけど、サムスンではないけど楽しく働けそうです。』と言いたいです。でも、現実的には難しい話ですよね。結局、仕方なく、もっともらしい大手企業に就職して『周りに自慢してくださいね』というふうにしか言えないです。誰の作った社会かはわかんないですけど、これが韓国の現実だと思います」
ソウルの有名私立大学院に通っているカン・ビョンウ(27)氏は「韓国で26歳の男性を2種類に分けると、『その子は大手企業』、『あの子は中小企業』」だとし、「就職を目前にした人なら、『どこの息子はどこの大手企業に就職したらしいよ』と親に言い回しで責められた経験のない人はいないはず」と話した。 カン氏は、2013年に地方の国立大学の電子工学学科を卒業した。当時は、まず就職しようと思った。専攻を活かさず、建築・精油・化学・製薬など20社近くエントリーした。中には内定をもらった会社もあった。しかし、彼は就職を諦めて大学院に進学した。「面接の際に、『うまくできるのか』という質問に、自信を持って答えられなかったから」だという。大学院で専攻について、より深く勉強すれば、自分が本当に何をしたいのか、自分にできる仕事は何なのかを具体化することができると思った。
そして、修士卒業を半年控えている今、彼の目標は変わった。表面的に大手企業志向は変わっていないが、盲目的に『サムスン』だけに向けて走っていた2年前とは違う。カン氏は、「大学卒業の時の目標だったサムスン就職は僕の目指した目標ではなく、社会が、親が、友達が立てた目標だった」とし、「今は、僕が会社でどういう仕事をすれば楽しく働けそうだという具体的な目標を立てるようになった」と話した。 修士号を取得したとしても、会社を選んで行けるほど韓国の就職状況は良いとは言えない状況だが、はっきりとした目標ができたおかげで、彼は強い心を育むことができた。「就活の際、学士と修士の扱いはあまり変わらないので、依然として不安感を抱えている」とし、「今は人の基準ではなく、自分の目標ができたので、失敗を恐れてはいるけどそれを乗り越える力を育てようとしている」と話した。 研究室のプロジェクトを進めているカン氏は、1日10時間以上を研究室に引きこもっている。友達と電話する時には、誰がより長く会社に、研究室にいたのか競い合うようにお互い苦しい状況を吐露した。このような状況の中で希望を、幸せを、話せるのか。カン氏は、「仕事とお金で幸せを求めるなら、100点満点の49点だ」とし、「明日になっても今日より短く働ぎながら、多くのお金を稼げそうでもないから」とその理由について話す。といっても希望は失わなかった。
「僕は逃げで語学研修を行って、逃げで起業もしたし、卒業猶予もしました。大学院進学も逃げだと言えます。でも、結局、逃げ場はないです。『脱朝鮮』が正解ではないと思います。こんなふうに話すと、誰かには『お金持ちだね』と言われるかもしれませんが、決してそうじゃないです。僕の感じた幸せな生き方は、2つです。人と比較しはじめると、その瞬間が地獄だということ。そして、避けられない仕事は、楽しむべきだということです。どうやって仕事を楽しむかというと、絶えず人生の目標を忘れないように心掛ければ良いんです」
「運動は100位でもお先真っ暗、勉強は1万位でも良し」
ソウル舍堂洞に住んでいるファン・ジェヨン(27)氏は、カン・ビョンウ氏と同年輩だが、現在置かれた状況はかなり違う。ファン氏は、最終学歴高卒で、「アルバイトでタバコ代くらい稼いでいる」実質ニートである。しかし、彼も一時期は、大学時代にデモにも参加した熱血社会学徒だった。
意外と父親は簡単に説得することができた。マラソン選手出身のファン氏の父親は、「運動選手は全国で100位してもお先真っ暗だが、勉強は1万位しても将来が保障されるんじゃないか」という言葉をしょっちゅう口にした。勉強すると言ったら止めなかったりはしなかった。 そうしてソウルに来たのが2004年。実家で新聞配達をしながら貯めたお金も底をつき、家の都合で仕送りもたまに切れたりしたので、17歳という幼い歳では堪えにくい生活苦が押しよってきた。期限切れのコンビニおにぎり2つとカップラーメンで食事を済ませ、考試院(コシウォン:受験生向け賃貸部屋)管理者がドアを叩く時には、息を凝らす時もあった。ファン氏は「当時、激しい無力感に襲われた」と言う。 紆余曲折を経て、首都圏4年制大学の社会学科に合格した。しかし、無力感のトラウマは、大学4年生の時に再びやってきた。軍隊から除隊した後、家の都合と大学授業料など、重なるプレッシャーにファン氏は「ある日、すべてを諦めるしかなかった」と当時を思い出した。 その結果は、除籍だった。ファン氏は、自分の「メンタルの弱さ」のせいだと認めながら、「もし僕が『クムスジョ』で、お金の問題に悩まず、小さい頃から励まされながら失敗を乗り越える生き方を教わったなら、どうなったのかと思ったりする」と話す。
ファン氏も「ノー答(答えのないという意味で、どうしようもない状態を指す造語)」である「ヘル朝鮮」で幸せを求める方法について、カン・ビョンウ氏と同じ考え方を持っている。 「アラン・ド・ボトンのTED講演を印象深く見たが、『失敗は怖いが、最悪は最後に自分が求めていない結果を得た時』」だとし、『自分が本当に何を求めているのかについて深く考えてみて、その成功を追った方が良い』という部分が記憶に残る」と話した。また、「自分の価値観を立てて自らが人生の主人公になれば、自然と幸せになるのではないか」とし、「やる気を持ってできる仕事を見つけて新年には新しい人生を送ってみたい」と話した。☞Go to the menu -
中国
あなたたちに貧富の差が分かるか?
「このレストランに来るお客様は、一食に1万元(18万円)くらいは何気なく使える人たちです。中国の貧富の差は、想像以上に激しいです」 河北省出身の崔梦蝶(24)氏は、北京のある高級レストランの隅にある小さな喫茶店で働いている。メニューのお茶の値段を見て驚いた。一口量のお茶一杯の値段が、なんと128元(2千300円)で、4~5杯分のポットの値段は480元(8千800円)だった。サラリーマンの平均的なランチ代が30元(550円)ということを考えると、ポットに入ったお茶が16回分の食事代と同じようなものだ。
韓国の「クムスジョ」、「フクスジョ(土のスプーン)」という話を聞いた崔氏は、「中国では、お金と権力による差別と不平等が日常の隅々まで染み込んでいる」とし、「一部の職場や公務員職は、高官や富裕層の子でない限り、どんなに能力があってもなれない」とした。韓国の中国筋によると、「中国中央テレビ(CCTV)では、採用情報を公開せずに役員や高官の子のみを『関係(コネ)』で採用している」と耳打ちした。 ユネスコによると、中国の大学進学率は、2003年15%から2012年26.7%まで、毎年1%以上上がっている。1980年代以降、大学の数と定員を大幅増やし、一人子政策に伴って子供の教育に熱心な親も増えたため、地方でも大都市の大学に留学する学生が増えた。しかし、中国の経済状況を見ると、増えていく大卒者すべてが学歴に見合った職場で働ける訳ではない。これは、地方から来た留学生が大学卒業後、都市の貧困層に転落する結果をもたらした。崔氏には、「多くの大学生は自分の専攻を活かせず、勉強しただけの処遇を受けていない」とし、「それに、多くは一月5千元(9万円)くらい稼ぐ私より給料が少ない」と話した。
にもかかわらず、崔氏は「それでも中国にはチャンスが多く、希望がある」と強調した。最終学歴中卒である彼女が、高級喫茶店でマネージャーとして働きながら、大卒者以上の処遇を受けているからだ。「もちろん、中国でも農業やレストランの従業員といった職業をつまらない仕事だと思いがちだが、一方で、私のように技術を学んだりして勉強以外の方法で成就感を味わえる道もかなり多い」とし、「お店のお客様はお金持ちで、社会的地位が高いからといって、私を見下ろしたり無作法に振る舞ったりすることはなく、むしろ尊重してくれる」と言う。そして、「私たちは、お茶のことを『公道杯』と言っている」とし、「お茶をする瞬間だけは、財力・地位問わず、皆が公平であるという意味」だと言いながら微笑んでいた。 地方の出身が北京で生き残ることは容易ではないとされているが、彼女は将来をどう描いているのか気になってきた。 「もちろん、私独りの力で北京で暮らすためには家賃も高いし、色々と大変なことが多いと思います。なので、恐らく良い人に会って結婚するんじゃないかな。そして、私の一番の願いは、10年後か、20年後に喫茶店を開くことです。容易ではないでしょうけど、夢すら見られない将来ではないと思います」
就職難に対する「違うようで同じ」3つの見方
「就職が難しくなった訳ではないです。多くの青年たちは、ちやほやされながら育った上、学歴まで高いから、下っ端から始めることを受け入れないのです」 ―郭静(21)職業学校卒業後、旅行会社で勤務 「就職率が低いからといって就職が難しいという意味ではないです。中国は成長スピードが速いから人材を求めています。ただ、一部の高学歴者が低賃金をもらいたがらないのは、個人の選択の問題です」―张玉翎(19)河北民族師範大学学生 「経済成長が個人の就職に及ぼす影響は、大きくないと思います。結局、就職は、卒業証明書でやるもんですね。経済が良くても悪くても北京大学とか淸華大学を卒業した学生たちは、就職への心配はしません」― 李昱蕾(26)瀋陽理工大学卒業後、先峰金融グループで勤務 それぞれ異なる背景を持つ3人の青年たち。彼らの考える就職難は、似てるようで少しずつ異る部分があった。就職そのものが難しくなった訳ではないということには3人とも同意し、中国の就職難は、温室育ちの青年自らの問題だということ、個人の価値観の差の問題ということ、出身大学が就職に決定的な影響を及ぼすということを強調した。これは一般的に、外国で中国の就職難が政策的・構造的な問題による問題という分析と真逆の考え方である。なぜ、中国の青年たちは、就職難を自分のせいにしているのか。その理由について、他の学生とのインタビューを通じて予測することができた。
中央民族大学大学院の西方経済学専攻の曹林茂(26)は、「中国政府は、産業構造の調整・起業奨励・一世帯二子政策などを通じ、資源消耗と低賃金に基づいた今の成長モデルを変えている」とし、「経済成長率が急激に落ち込まないよう、きちんと対応している」と話した。言い換えれば、国に対する中国青年たちの無限の信頼と自己同一化が、社会の構造的な限界を個人の領域に変えたとも言える。 しかし、このような認識の歪曲が、中国の青年たちに決して悪く働いている訳ではなかった。なぜなら、少なくとも今は、日本の若年層問題の原因と指摘された自責と意欲低下につながらず、希望の火種と働いているためだ。 李昱蕾氏が2012年北京のある雑誌会社に就職した後に受け取った初任給は、1千800元(3万3千円)だった。しかし、それから広告会社やO2O(Online to Offline:電子商取引プラットホームとオフラインの店舗が結合した流通方式)会社、金融会社へと転職し、給料はそれぞれ5千元(9万2千円)、8千元(14万7千円)、1万2千元(22万円)に上がった。わずか満3年ぶりに給料を6倍以上上げたのである。 就職難に対する考え方はそれぞれ異なったが、希望に満ちた人生については皆口を揃えた。
「一生懸命働いたら、どの中国人でも社会的問題で挫折しないだろう」―郭静
「希望は自己満足によるものだ。私は欲張りではないので満足できる人生を送れそう」―张玉翎
「誰でも私のように努力して経験を積めば失敗しないはず」―李昱蕾
「自己肯定感は、生きる力の源」中国の青年企業家たち
中国の少数民族人材のための国家重点大学である中央民族大学は、北京大学や清華大学、人民大学と同じく北京海淀にある。最近、この学校では、大学院生を対象にした起業大会が開かれた。学部生を対象に2年に1度開かれるが、大学院生を対象にした大会は今年が初めてである。合計31チームが参加して最終6チームが選ばれ、企業とのマッチング、起業チャンスを与える実践型大会である。 この大会の本選に進出した肖迪(25)と曹林茂(26)、方毅(25)に会った。
チームリーダーの肖迪は、「優勝賞金は5千元(9万円)」だとし、「でも、お金よりもアリババのような大きい会社と一緒に自分の事業アイテムを実現できるから必ず優勝したい」と話した。 曹林茂は「起業に興味を持つ中国大学生が段々増えている」とし、「3月に李克強総理が発表した『大衆創業・萬衆創新』政策の影響が大きい 」と言う。
中国国家統計国の2015年第3四半期の経済指標別現況資料を見ると、免税特典とインキュベーター設立などを骨子とする中国の起業支援政策が、実際に効果があるということが明らかになった。今年の上半期に新規登録した企業は、前年同期比19.4%、新規登録資金は43%増加した。それに、今年6月起業人口が全体就職人口に占める割合は、1月に比べて0.11%増えた。中国の13億人口を考えると、全体就職人口の0.1%は無視できない数値である。とりわけ、北京大学市場研究センターの報告によると、「90後(ジョウリンホウ:1990年代生まれの人)」大卒者の15.6%が起業を希望しているという。 3人とも「90後」である彼らは、「90後をテーマにした複合休憩空間」で大会に参加した。消えていく小さい頃の思い出を浮かばせて感性をくすぐると、消費力のある「90後」は必ず財布の紐を緩めるに違いないということだ。当然、徹底した市場調査を経た後に下した結論である。 彼らは、なぜ磁石のように起業に引かれているのか。肖迪は、「会社に就職した方が安定的かもしれないが、長らく願ってきた夢を実現しなければ、一生後悔しそう」と話した。また、「失敗するかもしれないが、今は失う物もない」とし、「失敗したとしても改めてもっと勉強する」と話した。
韓国国内には、多くの中国の青年が就職難により政府の政策的支援を受けられる起業に目を向けていると知られているが、実際に中国で会った青年起業家は、「小さい頃からの夢」だと話した。そして、その夢に向けて一歩ずつ段階を踏んでいくもう一人の青年にあった。 李平章(24)氏は、四川省の成都出身で、上海名門の復旦大学を卒業した。大学4年生の時、日本の化粧品メーカーであるDHCで経営教育性(Management Trainee)過程を修了した。教育性の身分だったが、採用と関わる過程であったため、8千元(14万7千円)の給料をもらった。今年、「90後」 大卒就職者の平均月給が2千687元(4万9千円)ということを考えると、かなりの額である。なのに、卒業後、正規社員への転換を諦めて北京行きを選んだ。大学時代に夢見た旅行会社を立てるためには、基礎を築くべきだと判断し、中国で最も大きいオンライン旅行会社に就職することにしたのである。旅行会社では能力を認められ、なんと1万7千元(31万3千円)の月給をもらった。しかし、高額年俸も彼の心を掴むことはできなかった。夢に挑戦する時期になったからだ。 「中国には本当に美しい所が多いです。特に、私の故郷である四川からチベットへ向かう道の風景は、息が止まるくらい美しいです。でも、多くの韓国人は、北京とか上海、香港には詳しいけど、成都とか西安みたいに面白くて美しい都市については全く知らないです。それで、外国人に中国の隠れた美しさを紹介したかったんです」
李氏は、今年9月「ハイ・チャイナ」という旅行会社を作った。同じ志を持つ仲間5人と一緒に同じ家で暮らしながら下地を作っている。 李氏は、自分の究極的な夢について「大金を稼がなくても、自分が好きで、人に役立つ仕事をすること」だとし、「引いては、グーグルやフェースブックのように、様々な国籍の職員が中国と交流し、中国を理解できるプラットホームを作ることが目標」 だと話した。 まだ目に見える成果はないが、彼の話し方と行動には強い自信が感じられた。「もし、今回成功できなくてもやり直せばいい」と話した。中国の青年たちは、皆このように自信に満ちているのか。 李氏は、「単にお金を稼ぐために起業をするだけで、自分が何をしたいのか知らない場合も多い」とし、「多くの青年たちがジャック・マーのように空の星を見て走っていくが、自分の足元の落とし穴は見過ごしている」と話した。また、「中国には『屌丝(ディアオス):負け組。家・車・彼女のない男性を指す言葉で、2012年中国ウェブサイトで流行語1位となった造語』という言葉が流行っている」とし、「今の中国は、チャールズ・ディケンズが言うとおり、最高の時代であり、最悪の時代でもある」と話した。 しかし、明らかなのは、アリババ・ 腾讯・百度といった中国IT企業の躍進が、多くの人にチャンスと希望を与えているということである。
梅京京(22)は、昨年、3年制職業学校を卒業し、幼稚園の補助教師として働いた。月給は、3千元(5万5千円)。だが、今年は月収5万元(92万円)を稼ぐ実業家にチェンジした。腾讯の発表した中国版LINEと呼ばれる「微信(ウェイシン)」を通じてダイエット製品を販売を始めた。梅氏は、「中国の貧富の差はどうしようもないが、青年たちはスマホとネットを通じて新しいチャンスを手にすると思う」とし、「ポジティブに考えながら一生懸命努力すれば、将来は決して暗くない」と話す。☞Go to the menu